⚡ 古文の小式部内侍が大江山の歌の事の 問題について質問です 本文 和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、小式部内侍、歌よみにとられてよみけるを、定頼中納言、たはぶれに小式部内侍に、 「丹後へつかはしける人は参りにたりや。 お母さんなど関係ないと磨いてきた能力を、存分に発揮した。 しかも、この小式部。

17

♥ そんなよこしまな下心たっぷりな人達にとって、人気女流歌人である和泉式部の娘って言うだけで選ばれた小式部内侍は、はっきり言ってムカつく存在。 親が偉大ならば、その親を越えるべく努力する必要がある。 「いく野」と「行く」、「踏み」と「文」をかけているなど、歌のつくりも巧みで、歌人としての力量が伺えます。

😆 訪れる場合は、JR山陰線を乗り継ぎ、宮津線天橋立駅で下車します。 人間関係に悩んだら古典を学べと言った先人達の言葉は当たっています。 このエピソードからも小式部内侍の歌才をうかがい知ることができます。

⌚ 百人一首にとられた「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」は,母が再婚した夫と丹後に住んでいるとき,歌合 に選ばれると,藤原定頼が小式部の歌は母の代作という噂だとからかったので,即座に詠んでみせたものだという。

20

🙄 意味としては「大江山()を越えて、近くの生野へと向かう道のりですら行ったことがないので(または、に向かって行く野の道・大江山の前の生野への道が遠くて、大江山の向こうの)、まだ母のいる遠いの地を踏んだこともありませんし、母からの手紙もまだ見ていません」であり、「行く野・生野」「文・踏み」の巧みなを使用しつつ、当意即妙の受け答えが高く評価された。 で、そのお母さんの和泉式部が家庭の事情で京都に居ない。

16

😗 が部屋まで来て、 「歌はどうされました?丹後にお使いを送りましたか?お使いが来ないと、さぞ心細いでしょうね」 と、からかって立ち去ろうとするのを小式部内侍が引きとめて詠んだ歌。 だからみんな、歌をめちゃくちゃ勉強したんです。 の一人。

6

🙂 父は、母は。 競技者を左右に分け、決められた歌題で和歌を詠み、優劣を競う遊び。

10

✇ 歌の才人和泉式部を母に持つ小式部内侍には常に母の代作疑惑が付きまとっていました。

1

👍 【いく野の道】 生野は、丹波国天田郡(現在の京都府福知山市字生野)にある地名で、丹後へ行くには生野の里を通りました。 住吉神社の西にはその際の産湯に使われたとされる井戸が残っている。

13