🎇 ここまでのタイムロスを挽回すべく、当初の計画である吾妻高湯スキー場 入口までではなく、極力、登山口の近くまでマイクロバスを走らせてほしい旨を運転手に要望。 また、避難小屋での宴会を企画するリーダーの計画を問題視する者がいなかった点も悲劇に拍車をかけた。 その場で、二人が話し合い、この日を「渡辺登山の日」と名づけ、毎年、継続して登ることに決めたという。

✔ この3点は、いずれも、蔵王遭難に関わるものだった。

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🙌 彼らの証言による捜索の結果、メンバーのビバーク地点を自衛隊ヘリが特定し、上空より雪洞・リュック・スキーを発見。 最近は、昨春の選抜高校野球に、21世紀枠で初出場して話題になり、北朝鮮拉致被害者の一人、蓮池薫さんの出身校として、つとに有名になっている。 70周年記念誌には、その最期を眼前にした、当時の3年東組、堀田丈一さんの、学級日誌が掲載されている。

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😀 風雨やまず、寒気が強まり、そのまま歩き出し、16時10分に山形・高湯に着いている。

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🐲 柏崎高」 二高創立110周年にもう一度! 色紙を届けるアンカー役は、首都圏在住の国安泰致、松浦孝義の両兄と筆者の3人に回ってきた。 宏さんの感涙にむせぶ挨拶に、一同、思わず、もらい泣きしました。

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⚡ コンロや食料は十分にあった。 手紙は便箋3枚に横書きしたもので、筆跡も文体も、しっかりしていて、お元気になられた様子をうかがわせます。 男性が数メートル下に滑落、2人はばらばらになった。

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👆 13時過ぎ、下山を続けていた2人はひどいになりながらも自力で滑川温泉にたどり着いたが、男性Aは右手の指一本を切断する重傷、女性Bは手足の痺れなど後遺症が残った。

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💙 情報源の、松浦孝義さんの話によると、宏さんは、これまでに三度、蔵王に慰霊の登山をしている。 でも、年ごとに体力が落ちていることは自覚しているので、どうなりますことか?」 この発言について、俊子さんは「まぁ、夢を持ち続けることが、生きがいになるのでたしら、結構でしょう」と、にこやかに応じていた。

😔 そのお祝いに、寄せ書きの色紙を贈ることが決まったのは、筆者(さいたま市在住)が、仙台の実家の墓参りに行った折に合わせて、慰霊登山の同志と久しぶりに懇談した時(10月11日)のことだ。 Aが女性のザックを回収したが女性はなお歩けず、再びAが駆け寄った直後に女性は意識不明に陥ったため、寝袋に入れて、残りのメンバーで引っ張ろうとしたが、暴風のため途中で断念し、パーティー全員がその場に留まる事態に。

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