🤙 もとはならの京東大寺にすみて、華嚴宗をぞならひたまひける。

❤️ 「をも」は、誰しもが賞美する月であるが、その月をも私は…といった気持で用いている。 みだりにあやしのさまにおもひけるつみのほどものがれがたく、かなしくてといひけり。 それゆえ「話者から聞き手に対する敬意」ということになります。

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🤔 【他出】新撰和歌、伊勢集、古今和歌六帖、和歌用意条々、桐火桶 【主な派生歌】 みる人もなき山里の花の色はなかなか風ぞ惜しむべらなる みる人もなき山里の秋の夜は月のひかりもさびしかりけり 中々にをしみもとめじ我ならで見る人もなき宿の桜は 光なき谷には春もおそ桜ほかの散りなむ後やみるべき 母[新葉] かたみには外の散りなむとばかりに教へし花のかげもいつまで 三条西公条 夏 女の物見にいでたりけるに、こと車かたはらに来たりけるに、物など言ひかはして、後につかはしける 時鳥 ほととぎす はつかなるねを聞きそめてあらぬもそれとおぼめかれつつ (後撰189) 【通釈】ほととぎすのかすかな鳴き声を初めて聞いて、それからというもの、何を聞いてもほととぎすの声かと聞き違えられて、いったいどうしたのかと思っています。 女のもとにまかりてもの申しけるほどに、鳥のなきければよみ侍りける いかでかは鳥の鳴くらむ人しれず思ふ心はまだ夜ぶかきに (続後撰820) 【通釈】まだ夜深い時刻のはずなのに、どうして鶏が鳴くのでしょう。

♻ これが「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」で異なり、また「地の文」と「会話文」でも異なります。 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、 論語にあるように、其(その)貫道(くわんだう)する物は一(いつ)なり。 また、「いかなる者ぞ。

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☣ 弟子もなみだにしづみ、きく人もさくりもあへずよゝとなきけるとなん。 御返し、弁の内侍うけたまはりて、申すべしと聞き侍りしを、なのめなりといふ事にて、大臣、今出川より申されけるとかや。

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🤭 ただし、これは原則であり、主語が一人称でも「推量」や「当然」でとる場合もありますし、先に書いたとおり、意味を一つに限定できない場合もあります。 【補記】詞書の「弥生に閏月ありける年」とは、一年に三月が二度あった年。 世中火を消ちたるさまなり。

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🖖 誰かの兄弟が亡くなった時、弔問に詠んだ歌。 (季語)花-春] 扇にて酒くむかげやちる桜 [役者に興じ、扇を杯に見立てて酒をくむ真似をすれば、いよいよ桜の花は豊かに散っていることだ。

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