🎇 また、洛北の雲林院には紫式部の墓があり、千本ゑんま堂には紫式部供養塔があって、「源氏物語」ファンには定番の観光地コースになっています。 [現代語訳] どの帝の御世であったか、女御や更衣が大勢お仕えなさっていた中に、たいして高貴な身分ではない方で、きわだって帝の寵愛を集めていらっしゃる人があった。 同じほど、それより下臈(げろう)の更衣たちは、 まして安からず、朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、 いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせ(はばからせ)給はず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。

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⚓ 源氏物語「光源氏の誕生」」(桐壺) 現代語訳 源氏物語「光源氏の誕生」」(桐壺) 現代語訳 a いづれの御時にか、女御・更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。 高麗(こま)という国から人相身(占い)ができる者を呼び、第二皇子を占わせたところ、 「この皇子(光源氏)を帝にすると国が乱れます。

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🙏 さらに江戸時代の「偐紫田舎源氏」では面白おかしく引用されるなど、日本の文学は「源氏物語」なくしては語ることができないと言っても過言ではありません。 。 ある時には大殿ごもり過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、 ある時は、お寝過ごしになって、そのままお側に置きになさるなど、 あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、 むりやりおそばを離れないように扱いなさるうちに、自然と軽い身分の人のように見えたが、 この御子 みこ生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、 この御子がお生まれになってから後は、格別に心を配り扱いなさったので、 坊にも、ようせずは、この御子のゐたまふべきなめり」と、一の皇子の女御は思し疑へり。

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👋 品詞分解 上達部、 名詞 上人 名詞 など 副助詞 も、 係助詞 あいなく ク活用形容詞「あいなし」連用形 目 名詞 を 格助詞 そばめ マ行下二段活用動詞「そばむ」連用形 つつ、 接続助詞 いと 副詞 まばゆき ク活用形容詞「まばゆし」連体形 人 名詞 の 格助詞 御おぼえ 名詞 なり。

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😃 i いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなるちごの御かたちなり。 桐壷の更衣は初めから普通の朝廷女官として奉仕するほど低い身分ではありませんでした。 助かると即、出家。

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🤝 j 一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、よせ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれど、この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。 advanced Q. しかし、六条御息所の生霊にとりつかれて亡くなった。 いつの帝の御代であっただろうか、 女御 にょうご 、 更衣 こうい あまた候ひ給ひけるなかに、 女御や行為の方が、大勢お仕え申し上げていらっしゃった中に、 いとやんごとなき 際 きわ にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。

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😒 また、同じく平安期の「夜の寝覚」、「狭衣(さごろも)物語」、「花松中納言物語」、は、「源氏物語」をベースにしていることが見てとれます。 夕霧(ゆうぎり) 源氏と葵上の息子。

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⚠ d 朝夕の宮仕えにつけても、ひどく他の后妃たちの嫉妬をかきたてるばかりで、人からの恨みを受けることが積もったためだったのだろうか、ひどく病気がちになってゆき、何となく心細そうに実家に下がることが多いのを、(帝は)いよいよたまらないほどいとしく不憫なものにお思いになって、人々の非難をもはばかることがおできにならず、世の話の種にもなってしまいそうなご待遇ぶりである。 藤壺と源氏の子、冷泉帝をわが子として養育。

☝ k もともと(更衣は)普通一般の天皇のそば仕えをなさるはずの身分ではなかった。 「いじめ」というのは、「桐壷の更衣」が御所の中で歩く先に汚物が置かれて歩けなくされたり、行き来する御所の扉を出入口両方閉められ、閉じ込められるといった感じの事をされるのですが、こうした事をされ、「桐壷の更衣」は徐々に体を弱られてしまいます。