🎇 実際、私たちも知っている通り、 この行き過ぎた円高不況対策で日本は世界最大の資産バブルを引き起こし、その後バブル崩壊により、長期にわたって続く不況に陥ることになりました。

10

☕ 「プラザ合意」の翌年に蔵相となり、超低金利政策を推進した宮沢喜一氏は、「不良債権の問題を辿(たど)っていくと、どうしても、きっとプラザ合意のところに行くのだろうと思います」(『宮沢喜一回顧録』)と認めています。 アメリカの財政再建の失敗がプラザ合意につながった 一体なぜ、プラザ合意が必要だったのでしょうか? それは、 アメリカがそれまで高すぎた米ドルの価値を下げたかったからです。

9

😊 そんな日本が協調介入に合意した背景には、アメリカとの貿易摩擦が過熱していたことがあげられます。 1973年に発生した原油価格の高騰及びイスラエル支援国への石油禁輸措置は、安価な石油に依存してきた先進諸国にオイルショックという未曽有の経済混乱をもたらしました。

13

🤲 ・円とドルの関係 円とドルの関係で言えば、「円高とドル安」、「円安とドル高」はそれぞれセットです。

11

😆 ドル安にすれば米国の貿易赤字、とりわけ対日貿易赤字が目減りすることが期待された。 貿易収支は、1977年に300億ドルの赤字、そして1984年には一気に1000億ドルを突破します。

19

👏 「プラザ合意」により急激な円高・ドル安が、竹下氏の「申し出」をはるかに超えるスピードで進行。 その理由の一つにあげられるのがプラザ合意による影響です。

3

😀 円高で勝利したのは日本の消費者です。

19

👉 貿易立国、電子立国と、現在の姿からは想像できない程の経済力を蓄えた日本が次に打ち出したプランが、アジア共通通貨圏構想だったのです。 これによって金利は上がり、世界中の資金がアメリカに集中的に流入し、 ドル高が進行しました。

10

😅 合意に基づき、各国はドル売りに乗り出します。 1987年にG5にイタリアとカナダを含めたG7がフランスで開かれ、G5諸国は貿易黒字国の協調利下げとアメリカの利上げを決め、ドル安を止めようとルーブル合意がなされます。

8