📲 酒や煙草で蔓延している楽屋の中、彼女は端っこで一人で本を読んでいた。 死後から約8年が経過していましたが、入場者数5万5千人。
7💋 白い肌に切れ長の目の美しさを作り出す繊細なアイライン、高い位置のチーク、くっきり縁取った赤いリップによる 山口小夜子さんのエキゾチックな顔は、ヨーロッパで熱狂的に支持され、 「SAYOKO マネキン」というマネキン人形が欧米のブティックを席巻しました。 左が山口さんで右が秋元さんです。
❤ 2007年8月14日に急性肺炎で亡くなり、8年後の2015年に東京都現代美術館にて、 山口さんの生涯と携わった作品群を回顧する、「山口小夜子 未来を着る人」が開催されました。 」 マツコさんは山口さんのポスターを初めて見た時、「何かが開眼」したと以前のインタビューで語られています。 一般的に西洋的なモデルが人気となっていて、山口さんも「髪を染める」「パーマをかける」ということを要求されることも多かったようです。
⚔ 今初めて、彼女のまだ見ぬ扉をそっと開ける・・・。
9😊 天児牛大 天野幾雄 生西康典 入江末男 大石一男 大塚純子 掛川康典 ザンドラ・ローズ 下村一喜 セルジュ・ルタンス ダヴェ・チュング 髙田賢三 高橋靖子 立花ハジメ 富樫トコ 富川栄 中尾良宣 藤本晴美 松島花 丸山敬太 山川冬樹 山本寛斎 自由とは、自分のほしいものをちゃんと知っていて、それにただしく手をのばすことができることだ。 この対談は『蒙古斑革命』立ち上げの経緯やその想いを語った内容となっており、また、プロジェクトのステートメントとしても受け取ることができます。 しかし2007年8月14日に「伝説のモデル・山口小夜子急逝」との衝撃なニュースが。
1⚑ 山本寛斎、髙田賢三、イブ・サンローラン、ジャンポール・ゴルチェら一流のファッションデザイナーに愛され、セルジュ・ルタンス、横須賀功光などトップクリエイターのミューズとなってイマジネーションを与え、常に時代の先端を走り続けました。
4😆 学生時代は、日本の雑誌とともに、当時アメリカで人気のあった Seventeen を買うのが何より楽しみで、気に入った服を見つけては母親に作ってもらい続けそうで、そうやって文化をまたぎ自分なりのおしゃれを探す中、山口小夜子さんは海外の雑誌と日本の雑誌にはなにか根本的な相違、ファッションに対する価値観に違いがあることを感じていたようです。 -セルジュ・ルタンスとの撮影時には頭を固定されアイラインを片目に1時間塗り続け、リップに2時間、前髪を1本1本書き足して、その後にカツラを被せる。
8👆 山口小夜子の晩年の活動や孤独死に至った死因とは? 白肌に切れ長の小夜子メイクを確立させ、自らのことを「ウエアリスト(着る人)」と称した「東洋の神秘」こと山口小夜子。
16☯ しかし彼女自身は、早くから中国や朝鮮半島も含めた各種の身体表現、衣装やメークを通して、日本だけでなく東アジア人であることと内側から向き合おうとしてきたのであり、「日本なるもの」を再定義するようなこのプロジェクトはその集大成とも言えるものであった。 身長:170cm 山口小夜子さんは1949年に神奈川県横浜市に生まれ、 2007年8月14日に急性肺炎で57歳の若さで亡くなっています。