🤭 今めかしく、きららかならねど、木立もの古りて(ふりて)、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、すのこ・透垣(すいがい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

😘 あやしき家・・・いやしい身分の者の住む家。 」と言って、 その後は 参ら ざり けると聞き 侍るに、 参ら=ラ行四段動詞「参る」の未然形、「行く」の謙譲語、動作の対象(参られた人)である後徳大寺大臣を敬っている。

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🖖 と、ある人が語ったのは、それではすばらしいことであると思われた。 しかし、その中でも愛欲(色欲)の迷いというのは、老いも若きも愚者も賢者も捨てがたいのである。

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☝ 『徒然草』は鎌倉時代に成立。 【語句】 つれづれなる・・・所在ない。

⚔ 見えんこそ・・・人に見られるようなのは。

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👐 このような場所では長生きできるようには思えません。 遥かなる・・・遠くまで長く続いた。

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👐 祖父の実能が徳大寺実能とよばれるので区別して後徳大寺実定とよばれる。 そんな寂しげな様子を見て感慨にふけるものです。

🤣 思いやりがある。

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👇 これは、2本目をあてにして最初の矢をいい加減にする気持ちが生まれるためです。 ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。 第7段「あだし野の露きゆる時なく」 現代語訳 あだし野で見られる露(のように人の命ははかないものだが、それが)が消えないとして、また鳥部山で見られる煙のようにずっと生きていけるのならば、まったく「もののあはれ」は感じられないだろう。

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