☯ 「 ビルマの竪琴 第二部・帰郷篇 」(1956年公開、83分) 1956年 、受賞。 そこには、水島が降伏への説得に向かってからの出来事が、克明に書き綴られていた。

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🚀 」 敗戦の兵隊を乗せた船は、まさしく「敗戦国・日本」そのものであり、「復興・日本」はゆっくりと、けれども着実に前へ進んでいるのだという勇気と激励を、著者は子どもたちに投げかけているのです。 (1954年)• 『日本経済新聞』2008年12月20日付朝刊11面(訃報欄)。

👐 そして、森の中へ去って行く。 一度は聞いたことのある名作。 帰国することに心を痛め、日本兵の霊を慰めるために僧となってこの地に留まろうと決意し、白骨を葬って巡礼の旅を続ける。

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💙 637• こんな地獄のような光景を見た水島は、見過ごすことができなかったのでしょう。 あらすじ ビルマの戦線で英軍の捕虜になった日本軍の兵隊たちにもやがて帰る日がきた。 本当に現実に起こったことなのかと目を疑うような理不尽さに、さまざまな感情が掻き立てられるでしょう。

☏ 1985年製作/133分/日本 原題:The Burmese Harp 配給:東宝 ストーリー 一九四五年夏、ビルマ戦線の日本軍はタイ国へと苦難の撤退を続けていた。 1947年(昭和22年)3月から1948年(昭和23年)2月にかけて、 児童雑誌「赤とんぼ」(実業之日本社)に連載された小説を、1948年(昭和23年)10月、中央公論社から書籍化されました。 出発の前日、水島が収容所の柵越しに姿を現わす。

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👣 そしてまた同時に日本兵達のことを簡単に忘れていいのかという葛藤が起きたのです。 出発前日、青年僧が皆の前に姿を現した。 三角山の戦いの後ムドンへ向かった水島は、道々、無数の日本兵の死体と出会い、愕然としたのである。

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☕ そのことは水島の飼っているオウムが分かりやすく代弁してくれています。 隊員達は歌うことによって隊の規律を維持し、辛い行軍の中も慰労し合い、さらなる団結力を高めていた。 小隊はムドンで労務作業に服していたが、ある時、青いオウムを肩に乗せた水島そっくりの僧とすれ違った。

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😔 両軍は戦わないまま相まみえ、小隊は敗戦の事実を知らされる。

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🙌 5 月 になると雨季に入り、糧食尽きた第31 師団の 佐藤師団長はついに6 月1 日、第15 軍司令部 に「師団長独断処置スル場合アルヲ承知セラレ タシ」と打電し、撤退を開始せざるをえなかった。 その夜香木がビルマの民家の庭先で咲い ていた。